また同じ頃
オペラの作曲にも手を染め、彼自身の台本に基づく処女作曲作『イルデゴンダ』
Ildegondaは『オベルト』初演の4か月後、
1840年3月20日にやはりスカラ座で初演されている。『オベルト』はアントニオ・ピアッツァ作『ロチェスター』に僅かに手を加えたのみ、『ナブッコ』はフランス語版の戯曲およびそれに基づくバレエ音楽からの剽窃すれすれの借用、との説も有力だし、 自身の『イルデゴンダ』も詞・曲ともに完全なオリジナルでない可能性もあるとされるが、劇場効果をよく心得たソレーラのドラマはこの時代のヴェルディの、ともすれば粗野な音楽とうまくマッチしていたのは疑いのないところである。
ソレーラはヴェルディにとっての第9作となる『
アッティラ』を作成していた
1845年10月頃、それを中途で放棄したまま妻のオペラ歌手テレサ・ロスミーナと共に
ミラノから
マドリッドに逃亡する。妻とスカラ座常連客との不和が原因とも、ソレーラ自身の借財を踏み倒す目的とも伝えられる。ヴェルディは『アッティラ』未完の第3幕を
ピアーヴェに完成させ、ソレーラに対してはこの不始末を終生許すことはなかったという。