天平10年(
738年)10月、
橘諸兄旧邸において
橘奈良麻呂が主催した宴で歌を詠む(『
万葉集』8-1587)。また同11年6月に兄家持の悲傷亡妾歌に即和したり(同3-463)、同12年12月9日に
大宰府の梅花宴の歌に追和(同17-3901~3906)するなど兄とともに和歌の創作に励む。同13年4月、
恭仁京にいた家持に
ホトトギスを歌った和歌2首を贈り、家持から返歌を得ている(同17-3909~3913)。同18年9月に没し、佐保山(
奈良県奈良市の市街地北部の丘陵地)で火葬された。家持は弟の死を悲しみ、その人となりを「花草花樹を愛でて、多く寝院の庭に植う」と述懐した(同17-3957)。