寺社大工(宮大工と同じ)は主に
木造軸組構法(ただしこの枠組から外れる構造物もある)で寺社を造る大工。江戸時代に
町奉行、
寺社奉行という行政上の
自治の
管轄が違ったため町大工と区別される。いまでも宮大工といわず寺社大工という地域もある。ただし
郊外など二つの管轄から外れる地域では明確な区別がないともいえる。このことから現代でも寺社大工と町大工を兼ねる
工務店も多い。また郊外という空間上の制限がない場所柄と
農家の顧客が主なこともあり町場と違い大
断面の
木材と基本となる間尺(
モジュール)も比較的大きく、
仕口や材料も奢ったものも多く寺社建築に近かったことも要因である。
都市部近郊では未だに築300年程の
農家も多く存在する。
主に木造軸組構法で家屋を造る大工(町場大工とも言われる)。古くから日本各地では
相互扶助の単位として町(町場)という
共同体があり、江戸時代までは都市部の公的な自治単位として多くの権限を有していた。都市部の
庶民のまつりごと(自治、
祭礼)は伝統的にこの単位で行われ、その
慣行が今でも残っているところも少なくない。こうした自治の場で町大工は
冠婚葬祭の
互助活動などや
消火活動(
町火消)、祭礼(
山車・
神輿の作成)、
橋、
井戸の屋根、
つるべや上水道の
枡、
木管や
下水のどぶ板といった町内インフラストラクチャーの作成、保守などを、町鳶(
とび職)と協力して担ってきた。
現代で言えば
インフラストラクチャーを大工が作り
イベントを鳶職が行ったといえる。
普請においてその町に住むものはその土地の大工を使うのが
不文律でありそれをたがえる時はそれなりの理由と挨拶が欠かせなかった。またこの様なことは大工に限ったことではなく町の中でお金が循環するという相互扶助でもある。しかし町の中でも商店や職人を積極的に
贔屓にするが、不文律の拘束は弱く、町鳶、町大工、町火消しなどの「町」を冠する職方には我々の町の、という誇りをこめたニュアンスがある。寺社大工と良く比較されるが、確かに工具の豊富さや
砥石一つとっても寺社大工のように数百万円もするようなものを持つ者も少ないが、都市部の限られた空間と時間と予算の制約の中で技術を培ってきたのも間違いなく、都市部(
築地など)では築100年以上の三階建て住宅も現存する。