一方、それ以前から
電波技術協会内に電子計算機調査委員会が設置され、各種コンピュータ本体や周辺機器を調査研究していた。この委員会も電子協設立と同時に電子協に移管され、8社(
東芝、
富士通、
日立製作所、
日本電気、
沖電気、
三菱電機、
北辰電機製作所、黒沢通信機)共同で分担してコンピュータシステムを開発するプロジェクトが開始された。このプロジェクトは
IBM 650 に対抗しうる国産コンピュータを開発することを目標としていた。しかし、
CPUを担当していた東芝が突然
真空管から
トランジスタに切り替えることを宣言し、それまでの設計では結合不能となったためにプロジェクトは失敗に終わった。
電子協は発足年の11月には計算センターを開設し、会員メーカー各社の初期のコンピュータの1号機をセンター設備として買い取るという助成政策を実施した。この計算センターは同時にコンピュータに関する教育の場にもなり、日本のコンピュータ産業黎明期には重要な意味を持っていた。